益子焼と笠間焼の違い|隣り合う産地が、異なる特徴を持った理由

茨城県の笠間と、栃木県の益子。県境をまたいで隣り合う、二つの陶芸の町です。
そして、この2つの産地はこれまでお互いに良い影響を与えながら、成長してきました。19世紀、笠間焼の技術を学んだ大塚啓三郎が益子の土に着目し、この地に最初の窯を開いたことで、益子が生まれ、濱田庄司の移住とともに一大産地へと成長してきました。この2つの産地は血のつながった親子の産地と言っていい関係です。
そして、現代においては、この二つの産地は正反対になっています。益子には「益子らしさ」があり、笠間にはいい意味で「笠間らしさ」がない。
この記事では、なぜそうなったのか、この2つの産地の歴史を比較します。
益子焼と笠間焼の比較
まず、益子焼と笠間焼の比較を見てみます。この2つの産地は隣同士であり、始まりは笠間の方が早かったです。その後、益子は民藝運動とともに進化し、現在ではともに300人を超える作家が活動する一大産地となっています。
| 項目 | 益子焼 | 笠間焼 |
|---|---|---|
| 産地 | 栃木県益子町 | 茨城県笠間市 |
| はじまり | 19世紀。笠間から技術を学んで開窯 | 1770年代。信楽から技術を学んで開窯 |
| 転機 | 1924年、濱田庄司が移り住んだ | 1990年、茨城県陶芸大学校が開校した |
| 様式 | 民藝。見分けられる型がある | 定型なし。「決まりがない」ことが個性 |
| 選び方 | 産地で選べる | 作家で選ぶ |
| 作家の数 | 300人超 | 300人超 |
笠間が親で、益子が子
笠間は信楽から学んだ
笠間焼の起源は1770年代。陶工の久野半右衛門が信楽焼の産地から技術を学び、笠間藩の地で窯を開いたのが始まりです。当初作られていたのは、甕・水がめ・徳利といった、農家や商家が日常的に使う実用器でした。
笠間には日本三大稲荷のひとつ、笠間稲荷神社があります。全国から参詣者が集まる門前町だったことが、器の販路になりました。この「開かれた門前町」という性格は、後の笠間の自由な気質の素地になっています。
益子は笠間から学んだ
その約半世紀後、19世紀に笠間焼の技術を学んだ大塚啓三郎が、益子の豊富な陶土に着目して窯を開きます。これが益子焼の起源です。
益子の土は粒子が粗く、可塑性が高い粘土質でした。そのため当初は、壺・甕・土瓶・火鉢といった大物の生活陶器の産地として発展します。笠間と同じく、実用の器から始まった産地です。
信楽から笠間へ、笠間から益子へ。技術は一本の線でつながっています。この時点では、二つの産地はよく似た実用陶器の産地でした。
2つの産地の分かれ道は「濱田庄司」の移住
では、なぜ、現在にあたり、2つの産地はそれぞれの特徴を持ったのか。それはそれぞれの地に起こった2つの出来事に由来します。
益子には、一人の陶芸家が来た
1924年、濱田庄司(1894〜1978)が益子に移り住みます。のちに「民藝陶芸の巨匠」と呼ばれる人物です。
濱田はバーナード・リーチとともにイギリスへ渡り、4年を過ごして帰国しました。その彼が拠点に選んだのが益子です。理由は本人の言葉で「土が良かった」。粗く、素朴で、飾らない益子の土が、民藝の哲学を体現するのにふさわしいと感じたからでした。
1926年に柳宗悦が「日本民藝美術館設立趣意書」を発表し、翌1927年には濱田・河井寛次郎らと日本民藝協会を設立。民藝運動が始動します。その核心が用の美、つまり日常的に使われる実用品にこそ本物の美が宿るという考え方でした。
益子は、この運動の象徴的な産地になりました。つまり益子には、外から「思想」が入り、それが様式になったのです。
笠間には、学校ができた
笠間の転機は1990年、茨城県陶芸大学校が笠間市内に開校したことです。日本でも数少ない陶芸専門の教育機関として、全国から学生が集まるようになりました。
そして卒業後もそのまま笠間に残り、独立して工房を構える作家が増えていきます。土地や工房の賃料が手頃で、すでに作家のコミュニティがあり、何よりスタイルを押しつける「師匠筋」の縛りが薄い。
日本の陶産地には、技術が親から子へ受け継がれる継承型の街も多く、外から来た作家が根を下ろしにくい場合があります。笠間にはその閉鎖性が比較的少ない。結果として、笠間に入ってきたのは思想ではなく「人の多様さ」でした。
2つの産地が持つ魅力は、まったく違う
益子には型があり、その型を進化させた魅力がある
益子焼は、釉薬で見分けられます。民藝の精神に則り、派手な装飾より素材の美を活かした釉薬が伝統的に好まれてきました。
| 釉薬 | 見え方 |
|---|---|
| 糠白釉 | もみ殻の灰が原料。白磁の冷たい白とは違う、人肌のような乳白色 |
| 柿釉 | 鉄分が多く、錆赤から柿色に発色する。使い込むと色が変わる |
| 黒釉 | 深みのある漆黒。濱田庄司が好んで多用した、益子の代名詞 |
| 飴釉 | 琥珀色から蜂蜜色。透明感があり、粗い土の質感が透けて見える |
加えて、酸化鉄を溶かした鉄絵具による絵付けも益子の特徴です。草花や幾何学模様を流暢な筆致で描く、即興に近い表現です。
器の形も肉厚で、保温性が高い。「見て、持って、益子だと分かる」産地です。
笠間には型がない
笠間焼には、見分けるための定型がありません。ひとつの産地の中に、次のようなものが同時に存在しています。
- 民藝運動に連なる素朴な食器
- ミニマルで建築的な白磁の造形
- ギャラリーに置かれてもおかしくない現代アート的な造形
- 植物や自然をモチーフにした繊細な絵付け作品
- 薪窯で焼いた力強いストーンウェア
あるのは個々の作家の個性だけです。「特徴がないことが特徴」と言われるのは、このためです。
笠間焼と益子焼の選び方
上述のように笠間焼と益子焼は2つの隣町でありながら、大きな違いがあることを説明しました。そしてこの違いを知り、器を選ぶことができたら、器選びがより楽しくなります。
- 益子は産地で選べる 「柿釉の飯碗が欲しい」で探せます。作家を知らなくても、欲しい器にたどり着けます。
- 笠間は作家で選ぶ 「笠間焼が欲しい」では絞り込めません。気に入った作家を見つけることが、笠間焼を買うということです。
- 益子は入口が分かりやすい 糠白釉のマグ、柿釉の飯碗。最初の一点を決めやすい産地です。
- 笠間は出会いが広い 素朴な民藝から現代アート的な造形まで、同じ産地名の中で振れ幅があります。
- どちらも作家と直接話せる 両産地とも作家自身が販売することが多く、作った人の顔が見える買い方ができます。
Nokazeでは、益子焼の器と笠間焼の器をそれぞれご覧いただけます。
陶器市が、同じ連休に重なる
そして、この2つの産地ですが、春の陶器市の開催日時が非常に近く、隣町だからこそ、まとめていくこともできます。
| 項目 | 益子陶器市 | 笠間の陶炎祭 |
|---|---|---|
| 時期 | 春(4月末〜5月初旬)と秋(10月下旬〜11月上旬)の年2回 | ゴールデンウィーク期間(4月末〜5月) |
| 日数 | 各回4〜5日間 | — |
| 来場者 | 春秋合わせて50〜60万人 | 毎回約50万人 |
| 出展 | 約50か所に300超の作家・窯元 | 200を超える窯元・作家 |
| 東京から | 車で約2時間 | 電車で約90分(JR水戸線・笠間駅) |
それぞれの産地をゆっくり見たい方におすすめなのは、春に笠間に、秋に益子にいくことです。益子には秋の回があります。春に笠間の陶炎祭へ行き、秋に益子陶器市へ行く。連休の取り合いを避けるなら、この分け方がいちばん素直です。
笠間は駅から歩ける範囲に工房・ギャラリーが点在し、茨城県陶芸美術館も徒歩圏内。電車で行けるぶん、笠間のほうが身軽に動けます。
全国の陶器市の日程は陶器市カレンダー2026-2027|全国90件の日程・会場一覧にまとめています。
益子陶器市の駐車場や混雑を避ける回り方は益子陶器市に、秋に笠間芸術の森公園で開かれる催しは笠間浪漫にまとめています。
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県境をまたいで隣り合い、片方がもう片方から生まれた産地です。型のある益子と、型のない笠間。全国の作家が一点ずつ手で作った器を、産地から直接お届けします。
作家の器を見るFAQ
益子焼と笠間焼はどう関係していますか。
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